岩手県の名産品である「南部せんべい」は原料も製法もいたってシンプルな煎餅だ。素朴で、噛むほどに出てくる味わいは、東北人の気質に似ているともいわれる。基本となる材料は小麦粉、塩、重曹で、ゴマ煎餅の場合はこれに黒ゴマをつけて押す。製法は鉄製の鋳型に入れ、火を通すだけだが、この焼き加減がなかなか難しく、美味しく焼き上げるのには職人の熟練の技術が必要だという。南部せんべいが誕生したのは、今から六百年以上も前のこととされている。陸奥の国におしのびで行幸された長慶天皇にそば粉とゴマを手に入れてきた家来が、兜を火にかけて丸く焼いて出したところ、あまりの美味しさに感激したという話が伝えられている。この説の真偽はともかく、南部せんべいがもともとそば粉で作られていたのは事実であり、自然環境の厳しい岩手だけに、寒冷地でも育つそばと鋳型に使う南部鉄の産地だったことが、南部せんべいの誕生を後押ししたようだ。こうして誕生した南部せんべいは戦の世には野戦食や携帯食となり、また凶作の年には飢えた人々を救うものとなったといわれている。やがてそば粉は小麦粉に変わったが、一貫して南部せんべいは親しまれ、食生活や文化の一部となって継承されてきた。近年までこの地方には南部せんべいをお産のお見舞いに使ったり、お祝い事や婚礼の際には、煎餅の上にお赤飯を握ってのせ、近所にふるまう風習も残っていたという。さて、そんな南部せんべいにはほかの煎餅には見られない特徴がある。それは「みみ」があるということだ。南部せんべいを製造・販売する巌手屋によれば、南部せんべい型の中に小麦粉を入れて押さえ込むのだが、その製造工程で小麦粉が膨れるため、どうしても隙間から少しはみだしてしまうという。これをそのまま焼き上げるため、煎餅の縁には必ず薄くてパリッとした部分ができる。南部せんべいを作るときには必ずできるもので、この部分を「みみ」というのである。みみはいわば南部せんべいを作るときにおまけとしてできる副産物だが、意外にもその人気は高く、みみだけ欲しいという客も多いという。そうした要望に応えて、巌手屋には耳だけの商品「がんこみみ」がある。といっても、みみだけを作っているわけではない。みみだけを作ることができれば大量生産も可能ということで、巌手屋で実際にみみだけ作ることを試してみたこともあったが、うまくいかなかったという。つまり、みみは南部せんべいの副産物としてしか作れない貴重なものなのである。
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